永遠の0(ゼロ)

素晴らしい本を読みました。百田尚樹さんという方がお書きになった「永遠の0」という本です。2006年8月に大田出版から単行本として出版され、その文庫本が2009年7月に講談社から出版され、現在まで16版を重ねているようです。価格は税別本体876円です。

本の帯には児玉清さんの「僕は号泣するのを懸命に歯を食いしばってこらえたがダメだった」との言葉がありますが、私も泣きました。書かれている内容は今から60数年前の太平洋戦争中の零戦パイロットの物語ですが、テーマは人間の愛です。

物語は当時と現在が交互に紡がれて行きます。二十六歳のフリーターの若者と二十六歳で戦死した、それまで見も知らなかった当時の実の祖父とが触れ合って行きます。著者の百田さんの構成力、文章力、その記述内容の素晴らしさに心から感銘を受けました。

私も太平洋戦争についても大分勉強した積りですが、この本に描かれている太平洋戦争の記述の正しさには深く共感しました。百田さんは1956年生まれとの事で、私よりは15歳お若いですが、太平洋戦争に対する思いは私と同じように深いと感じました。

百田さんは高校ボクシングの世界を感動的に描いた「ボックス!」という本でも有名な方のようですが、私は寡聞にして、数日前まで知りませんでした。今週初め、日本のアマゾンから一つのパッケージが届きました。中を開けるとこの本が入っていました。

これは私の若い日本の友人で海津直彦君という人がアマゾンに注文し、私に贈ってくれたものでした。短いメッセージが添えられており、「鶴亀さんを取材中のことを思い出し、この本をお送りさせて頂きます」とありました。

彼は2004年と2006年にTBSの「筑紫哲哉ニュース23」で私が取材を受けたときの音声担当スタッフでした。それ以来、彼を含め、当時の取材スタッフの皆さんとは交流が続いています。彼はまだ二十代後半ですが、最近結婚したようです。

本の内容はあえてここには書きません。是非皆さんに直接読んで感じて頂きたいと思います。きっと心が洗われる様な清清しい気持になると思います。そして日本の歴史や人間の愛情に関しても学ぶことが多いと思います。

[鶴亀 彰]

 

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68歳の誕生日

本日3月10日、私は68歳になりました。とても信じられない気持ちです。いつの間にこんな年齢になったのか。まだ記憶には18歳の高校卒業時の思いや25歳での渡米、29歳での結婚、30歳での息子の誕生など、全てがほんのちょっと先の出来事として頭にあります。30代、40代、50代が疾風のごとく駆け抜けて行った感じがあります。

私の父は38歳で戦死しました。今もマラッカ海峡の海底に伊号第166潜水艦の中で戦友87名と共に眠っています。その時に3歳だった私はいつの間にか父の年をとうに超え、30年も長く生きています。息子が来月には38歳になります。息子の姿を眺めて、父は本当に若くして亡くなったのだなと思いをあらたにしています。

真珠湾攻撃で始まった太平洋戦争勃発の年に生まれ、父をその戦争で失い、当時の敵国だったアメリカで私は現在住んでいます。2年の駐在予定での渡米でしたが、どうしたことか、すでに42年が過ぎました。毎日、以前は「鬼畜米英」と憎まれたアメリカ人と仕事の上でも個人的な交流の上でも親しく付き合っています。

戦争が終わって見れば、日本人もアメリカ人も良き人々でした。何故あれほど死力を尽して殺し合わなければならなかったのかと不思議な思いにとらわれます。この地球上ではまだ戦争は続いています。イスラエルとパレスチナとの戦いやイラクやアフガニスタン、更にはアフリカでの内戦など今も殺し合いが続いています。

どうしたら戦争を無くすることが出来るのか、大きな人類の課題です。人類の歴史は戦いの記録です。常にお互いに正義を唱えますが、多くの場合、その根底にあるのは欲望であったり、差別意識であったり、誤解であったりします。人民もですが、政府指導者やマスコミなどは心して戦争を避けるための真摯な努力を求められています。

地球環境の悪化が進み、エネルギー不足、食料不足、水不足が予測され、貧困や病気が広がる中で、人類はお互いに巨額のお金を軍事費に使い、これらの問題の解決への懸命な努力をないがしろにしている限り、取り返しの付かない状況に追い込まれる可能性もあります。世界の人々が協力し合い、人類の直面する問題に対処すべき時が来ています。

今回のアメリカの金融危機から始まった百年に一度と言われる世界規模の経済不況も、ひょっとしたら私達に覚醒を呼び掛ける神の声なのかも知れないと思ったりします。私の父の乗っていた潜水艦を沈めたイギリス潜水艦のキング艦長は今でもご存命で私は彼と三回会いました。彼も心から平和を願っています。彼は「お互いに相手も思いやる気持ち」が大切だと言います。

彼は戦後第二次世界大戦で深く傷付いた心を癒すために一人で世界一周ヨットの旅に出掛けました。五年掛かりの旅でキリスト教やイスラム教や仏教の経典を読み、一つの事に気付いたそうです。それはいずれの宗教も「愛」と「平和」と「赦し」を説いていると言うのです。私達はその原点に戻り、それを日々実行する必要があると彼は言っています。

非力な68歳の私に果たして何が出来るだろうかと自問自答しています。ささやかでも良い、自分の居る場所で、出来る範囲で、世界の平和の実現のために何かを行いたいと願っています。その第一歩は私に一番近い家族との思いやりから始まるかなと感じています。今夕はこれからシャブシャブ鍋を囲んで私の誕生祝いが開かれるようです。感謝の思いで楽しみます。(終わり)

[鶴亀 彰]

 

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オバマ時代の始まり

オバマ大統領の就任式やパレードに各地からワシントンに集った百五十万とも二百万とも言われる人々は人種や性別、年齢を問わず、笑顔に溢れ、喜びに満ちていた。オバマ大統領が宣誓を終えた瞬間、彼らの眼は輝き、濡れていた。大歓声に揺れ、打ち振る旗の波が広がった。全ての人々の自由と平等を謳いながら、現実には差別や機会不均等が残るアメリカが真にその理想の実現に向けて動き出した新しい時代への希望と誇りが渦巻いていた。

テレビを通じて就任式に参加した多くの人々もオバマ大統領が伝えるアメリカが現在抱えている問題の大きさに頷き、しかし国民全体が一致協力し、お互いに助け合うならば必ずアメリカは再生するとの希望のメッセージに勇気付けられた。オバマ大統領が呼び掛けたRemake America Together(一緒にアメリカを再生させよう)の言葉に答え、国民は行動を始め、すでに全米中で1万3千以上のボランティア・イベントが行われたと言う。

そのイベントは国民一人一人が自分の住む地域で自分が出来るささやかな奉仕を行うものである。例えば、近所に住む寝た切り老人に温かい手作りのランチを届ける運動とか、学校での勉強が遅れている近所の子供に無料の家庭教師役を行うとか、実にさまざまな形での隣人愛の発露である。もともとキリスト教の博愛の精神が根っこにあるアメリカではボランティア活動は極めて日常的である。学校や病院や図書館や敬老ホームや幼稚園などの運営はそれなしには成り立たない。

ボランティアは決してお金や時間に余裕のある人だけがやるものではなく、貧者の一灯のように気持ちさえあれば誰でも出来るものである。寝た切りの老女が毎日二時間だけ電話で身寄りのない孤児院の子ども達とおばあちゃん代わりにおしゃべりをするボランティアなどもある。政府や行政に任せるだけでなく、地域住民が率先して自分の出来る範囲でより安全で幸せな地域作りに参画すれば、犯罪防止や困窮している人々への支援が実現出来る。

国民の積極的な奉仕を呼び掛けると共にオバマ大統領は多種多様な価値観の共生を呼び掛けている。それは国内での意見の違いだけでなく、世界の国々との関係でも、お互いを尊敬し、理解し合い、協力し合う姿勢である。前大統領のブッシュさんの善か悪か、敵か味方かと言うような二元的な捕らえ方でなく、グローバル化、多様化が進む新しい時代の中で、寛容と忍耐を呼び掛けるものである。また地球温暖化防止や世界の飢餓の解決などにも積極的に努力するようである。

人類の歴史上で中世以降は大航海時代、産業革命時代、帝国主義時代と、白人優位の時代が世界を覆った。世界一のスーパーパワーであるアメリカの最高司令官が黒人になった意義は大きい。まだまだ時間は掛かるだろうが、グローバル化し、多様化が進む世界の中で、肌の色に関わらず、誰もが平等に、自由に生き、全ての国家が協力し合い、人類共通の問題の解決に智恵を結集する夢の時代に向けて、そのささやかな一歩が踏み出された思いを私は感じている。(終わり)

[鶴亀 彰]

 

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カリフォルニアの気候

カリフォルニアの気候は実に快適です。 特に南の方は年間300日近くも晴天です。 天気が良いだけに、人間も心配性の人よりもノーテンキな人が多いようです。 良く言えば楽観的、悪く言えばちょっとだらしないかな?

シアトルに学生時代の親友一家が住んでいますが、我が家ののんびりに比べれば、親も子も向こうの方がかなり真面目で頑張り屋です。 シアトルは曇り空の日が多く、雨も多いです。 その気候のせいか、高齢者の自殺の数も米国一なんだそうです。

南カリフォルニアの今日も晴れ、明日も晴れと言う気候だと、たとえ懐にお金がなくても、まー何とかなるわという感じになるのですが、今日も曇り、明日は雨というシアトルでは、人間は内省的になり、まさかの時の備えての準備も怠らない、手堅い生き方になるようです。

私達人間はかなり自然や地理的環境に影響を受けます。 日本人の美の感性の高さなども四季折々の自然と共生して生きた来た長い歴史と伝統に磨かれ、育てられて来たのに違いありません。

その点では日本の梅雨のうっとおしさなども、文句を言うだけでなく、静かに味わうべきなのかも知れません。 今日も晴れ上がったカリフォルニアの空の下で、日本の雨に濡れる紫陽花の美しさを偲んでいます。

[鶴亀 彰]

 

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運命

先週日曜日、ロサンゼルスは土砂降りの雨だった。自動車王国のロサンゼルスだが、一年中を通じて晴れの日が多く、住民の多くは雨の中での運転にはあまり慣れていない。忙しく左右に動くワイパーも間に合わないほどの大雨が一人の若者の命を奪った。

ギャレット・オオグシはまだ二十四歳の日系三世の若者だった。近所でも評判の明るく、元気な若者だった。カリフォルニア州立大学ロングビーチ校の大学院でフィジカル・セラピーを学ぶ一方、経験を積むために近くのクリニックで働いていた。

大学院卒業後は更にフィジカル・セラピーの分野で全米的に知られる博士課程に進むことを目指していた。理解のある両親や仲の良い妹や弟にも恵まれ、将来を期待されながら、何の不安もない日々を送っていた。彼の前途は洋々だった。

その彼が轢き逃げ事件の犠牲者となった。ロングビーチから彼の住むトーランス市を走る高速405号線を彼は走っていた。同じクリニックで働く同僚の女性が財布を忘れ、親切な彼が車で一緒に取りに行き、戻る道すがらだった。友達甲斐のある、誰にも好かれる人間だった。

片道三車線ある高速道路の一番センター寄りをいつもよりは少しスピードを落とし気味に走っていた彼のワイパーの先に車が一台エンコして止まっていた。警告の黄色いランプは点いていなかった。急ブレーキをかけたものの、間に合わず、ぶつかった。

高速道路の真ん中で止まっているなどは考えられない。それでも思ったよりは衝撃は少なくて済んだ。彼は車を降りると止まっている車の確認と自分の車のへこみを確認しようとした。そこに後続の車が突っ込んで来て、彼は数メートル飛ばされ、即死した。

彼をはねた車はどしゃぶりの雨の中をそのまま走り去った。しかしその後しばらく経って捜査にあたったハイウェイパトロールは高速道路を降りた比較的近くの場所でそれらしい車と中にいた二人の人間を逮捕した。車はベンツで、中の二人も身なりの良い男女だった。

何という運命だろうか。前途有望で誰にも愛される若者が一瞬にしてこの世を去った。エンコした車は土砂降りの雨の中でスリップして中央分離帯に乗り上げて止まっていたのだった。土砂降りでなければ車もスリップせず、高速道路の真ん中でエンコすることもなかったろう。

その車がエンコしていなければ、ギャレット・オオグシもそれにぶつかることもなく、また後続の車もこの愛すべき若者を死なすこともなかったろう。警察は現在エンコした車を運転していた女性が警告ランプを点けていなかったとして逮捕した。

後続の車の男女二人も轢き逃げとして逮捕された。思わぬ事故に衝撃を受けた余り、そのまま走り去ったのだろう。しかし罪の意識にさいなまされながら、事故現場近くで震えていたという。どしゃぶりの雨が三台の車の運転手達に全く予期せぬ運命を引き起こした。

私はギャレット・オオグシを知らない。しかしきっと私の知人の知人位は知っている可能性は高い。彼の遺体は検視のためにまだ警察にあり、遺族には引き渡されていない。家族の悲しみはいかばかりだろうか。輝くばかりの命が一瞬にして消える人間の運命を私はまだ受け止めきれずにいる。(終わり)

[鶴亀 彰]

 

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自己憐憫からの脱却

先週末、妻と映画を観に行った。The Diving Bell and the Butterflyと題された映画だが、それもフランス語の原題からの英語訳である。日本でも上映中のようだが、日本語のタイトルは「潜水服は蝶の夢を見る」らしい。

脳出血で全身不随になった中年男性の物語である。意識は完全にあり、記憶も判断力も創造力もあるが、動くのは左目とその上のまぶただけである。聴覚はあり、他人の話す言葉は判るが、返事する事は出来ない。

左まぶたを一回瞬きすればウィ(はい)、二回すればノン(いいえ)と言うルールで何とかセラピストの尋ねる質問には答えられるが、それ以上の意思は伝えられない。もどかしい日が続き、彼は絶望のあまり、死を願うが、自殺さえ一人では不可能である。

ベッドに寝ていると有名ファッション雑誌の編集者として人生を謳歌していた時の記憶が蘇り、それがまた彼の悲しみや苦しみを倍加する。愛する妻や子供がおり、それ以外にもガールフレンドもいて、満ち足りていた生活が一転した。

まるで海の底で、重たい鉄の潜水服に閉じ込められたような生活になった。全てが周りの人の手を煩わせてしか生きて行けない。生きる価値はないようで、暗く灰色の日々が続く。しかしある時に彼は気付く。自分で自分を憐れみ続けても、何の結果も得られない事に。

過去の記憶と、現在の感情、そして未来への想像力が残されている事に気付いた彼は自分を憐れみ、歎き、悲しみ、苦しむ事を止める決意をする。それは本を執筆する事だった。セラピストの献身的な協力を得て、この無謀な挑戦が始まった。

セラピストが発音するアルファベットに左まぶたを瞬きさせて文字を拾い、一つの単語にする。気が遠くなるような努力である。しかし彼はそこに自由を象徴する蝶の姿を見た。20万回の瞬きの後に原稿が完了した。そしてそれは一冊の本となり、愛する家族に捧げられた。

昨年のカンヌ国際映画祭で監督賞と高等技術賞に輝いているが、映像はかなり斬新で実験的である。米国でもゴールデン・グローブ賞の監督賞や外国映画賞を獲得し、近く行なわれるアカデミー賞にもノミネートされている。

それにしても人間は自分の気持を切り変えるだけで、このような凄い生き方が出来るものかと驚いた。この実話の主人公程ではないが、人間には大なり小なり自分を憐れむ傾向がある。自分の不幸や不運を歎き、愚痴を言い、怒り、悲しみ、世を呪う。

しかしそれは鉄の潜水服である。自己憐憫を止めて、残されたものを見て、前に向かって挑戦する事で蝶に象徴される自由が得られるのであろう。本の出版後、彼は亡くなったが、彼の思いや魂は家族のみならず、世界の多くの人々の心の中に生き続けるだろう。(終わり)

[鶴亀 彰]

 

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創立百周年記念

今日は私が通った小学校の百年記念式典が行なわれる日である。日本時間の二月十七日である。今頃あの懐かしい学び舎で粛々と行なわれているに違いない。太平洋のこちら側から、懐かしく、そしてほほえましく、その模様を思い浮かべている。

私が昭和二十二年(一九四七年)四月から昭和二十八年(一九五三年)三月まで学んだ小学校は照島(てるしま)小学校と言い、鹿児島県いちき串木野市にある。明治の終わりから、大正、昭和、平成と歴史を重ねて来た。創立以来、建物は変化したものの、場所は変わらない。

近くには日本有数の海岸である、白砂青松の吹上浜があり、今でも海亀が産卵する場所として知られている。昔は一面の畑だった学校の回りは、最近いくらか住宅化が進んだものの、今でも田園風景の名残がある。山あり、畑あり、海あり、半農・半漁のひなびた土地である。

浜での水泳や貝堀り、春のれんげそう畑で寝転びながら見上げた白雲が浮かぶ青空、夏の田んぼでのオニヤンマ釣り、秋の運動会、思い出すと次々に懐かしい情景が浮かんで来る。浜競馬や大綱引きなどの行事も楽しかった。

百年も続いて呉れると嬉しい事がある。それは父も母も、そして伯父・叔父や伯母・叔母、従兄弟や妹など、親戚や身内中が同窓生である。第二期卒業生には伯父の名前があり、九期卒業生には父、十六期卒業生には母の名前がある。私は四十四期卒業生なので、父と母はそれぞれ三十五年と二十八年、私の先輩である。妹は三年後輩になる。

学校のモットーは「波濤を越えて」であった。子供達が将来の人生で、その荒波に負けず、強く、正しく、生き抜いて欲しいとの願いが込められている。そのモットーのもと、百年間の間に一万人近い子供達が育って行った。きっと様々な人生があったに違いない。戦いで死んだ者も少なくない。私達の同級生でも医者になった者、ヤクザになった者、警察官になった者など本当に人生色々であるが、多くの卒業生が真面目に実直に波濤を越えて来たのではと思う。

七歳から十二歳と言う時期は人間の知育・体育・徳育の基礎が築かれる大切な六年間だといわれる。感受性もフレッシュで、吸収力も強い。豊かな情操や思いやりの心などが育まれる年齢である。私は今、その時期を照島小学校で過ごせた事に心から感謝している。これから更に百年、多くの後輩達が学び、楽しみ、そして人生の波濤を強く生き抜いて欲しいと思う。(終わり)

[鶴亀 彰]

 

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ハリウッドを目指す若者達

今週もまたハリウッドのAmerican Film Instituteに行った。鹿児島弁コーチの仕事である。前回お伝えしたがイタリア系アメリカ人の監督が製作する日本をテーマにした映画に関与しての仕事である。妻も興味があるらしく、今週も一緒に付いて来た。高台にあるせいで、ハリウッドの夜景が綺麗に見え、空には半月が浮かんでいた。

来週から撮影が始まるとあって関係者全員が集っての全体ミーティングである。出演者の他にメーキャップや衣装や大道具・小道具や照明など裏方さんも参加している。出演者は全員が日本の若者である。エキストラ役なども含め、25人の若者がいた。男性21人、女性4人である。

一体彼等はどこにいたのかと思うほど、ただ一人を除いて、全員私が知らない顔である。昔話になるが、私の渡米した1966年から70年代、80年代に掛けては日本人が集れば、それは駐在員や留学生などで何度か顔を合わせた同士がほとんどだった。

しかし最近では90日のビザなし訪問も可能とあって、極めて気軽に若者達はロサンゼルスを訪れ、自分の夢の実現に挑戦している。ここに集った若者達はハリウッドの映画界でのチャンスを求めている人々のようである。真剣に自分の台詞を練習し、認められようと努力していた。

だが壁は厚く、大きい。まずビザの問題があり、正式に仕事するには正式な労働ビザを確保する必要がある。また生活費の問題もある。言葉の問題もある。夢破れて帰国する若者も少なくない。ここにいる内の何人がその壁を越えられるだろうか?

驚いた事は最近の日本の若者の英語力である。監督とほぼ不自由なく、英語で語り合っている。私の時代と違い、確かに今の若者のコミュニケーション能力は上達している。是非これらの挑戦する若者の中から一人でも二人でもハリウッドの壁を越えて欲しいと望んでいる。

映画産業の隆盛は一国の経済や文化にとって、ある時は外交にとって、極めて重要な事である。これらの若者がビザや生活費や言葉の問題を自分ひとりで苦闘するのもそれなりに意義はあると思うが、国の政策の一つとして日本で世界的に通用する役者を生み出すために、まず基本的な訓練を日本で施す仕組みがあっても良いと思われる。昔明治政府が外国人雇われ教師を活用したように、ハリウッドの人材を教師として招請して語学力や演技力を指導出来ないものだろうか。この点においては韓国などの国を挙げての支援策が功を奏している実例がある。皆の熱演が続く中で、私はそんな事を考えながら、若者達の顔を眺めていた。(終わり)

[鶴亀 彰]

 

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4人に絞られた次期米国大統領

米国人は自分の意見をはっきり言い、旗幟鮮明にする傾向がある。市や州の議員選挙の際などは家の芝生に自分が応援する候補者のプラカードを立てたり、積極的にボランティアして勝利のための電話攻勢や寄付などを行なう。

我が家の近所にも大統領選挙で民主党のオバマ候補を応援するプラカードを立てている家がある。白人が大半を占める地域で黒人候補支援を明確にするのは多少勇気がいることであるが、誇らしげに立っていた。家の持ち主はイタリア系の白人である。

今回の大統領選挙に私は米国の大きな変化を感じている。今回オバマさんが次期大統領になれるかどうかはまださだかではないが、ここまで白人を含めた多くの米国人がオバマさんを応援している状況は画期的であり、今も残る人種差別の壁が大きく壊れる可能性を感じさせる。

パウエルさんやライスさんなど黒人の国務大臣が続き、それなりの評価と実績を見せた結果も手伝っているだろうし、オバマさん自身の魅力や能力に期待する気持もあるのに違いない。いずれにしろエドワーズさんが撤退し、民主党はオバマさんかクリントンさんになる。

一方共和党の方は当初大いに期待された元ニューヨーク市長のジュリアーニさんが大きく脱落し、マケインさんかロムニーさんの競争であるが、流れはマケインさんに向かいつつある。 まだロムニーさんにもいくらかのチャンスはあるものの、マケインさんがうんと有力である。

いずれにしろ次期米国大統領はオバマさん、クリントンさん、マケインさん、ロムニーさん、この4人の中の誰かになる。熱烈な民主党員である私の友人はマケインさんは大いな強敵であると言う。女性のクリントンさんでは負けると宣言している。

彼に言わせるとオバマさんと今回撤退したエドワーズさんを副大統領候補とするチームでなら唯一マケインさんが副大統領候補に誰を選ぼうと関係なく、民主党が勝つだろうと予言する。クリントン・エドワーズでもクリントン・オバマでも弱いと言う。

いよいよ来週火曜日はスーパーチューズディと呼ばれる大票田のカリフォルニア州やニューヨーク州など全米20州が同時に自党の大統領候補者を選ぶ天下分け目の日である。オバマさんとクリントンさんの勝負の趨勢もこの日で決まる。(終わり)

[鶴亀 彰]

 

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ハリウッド映画鹿児島弁コーチ

新しい肩書きが付いたようである。「ハリウッド映画鹿児島弁コーチ」とでも名付けようか? ジャスティン・アンブロシーノというイタリア人監督さんが現在制作準備中の映画で鹿児島出身の若者が主役となり、母親との会話部分が鹿児島弁である。

誰か鹿児島弁をコーチする人がいないかと探していたらしい。この映画に母親役で出演する志摩明子さんという日本人俳優さんから依頼の電話が入った。彼女は「硫黄島からの手紙」に在郷婦人会の会長さん役で出演している。私の昔からの友人である。

映画の内容等についてはまだ今の時点では公開出来ないが、ちょっと変わった映画である。またハリウッド映画と大げさに伝えたが、実際はアメリカン・フィルム・インスティチュートで映画制作を修行中の学生監督さんによる映画である。

拙宅からは一時間ほど掛かるがハリウッドの山の上にある同インスティチュートを訪れた。面白そうだと言い、妻も同行した。ここは映画制作を目指す世界中からの学生が集っている。最近は日本からの若者も少なくない。将来の映画人を育成する場所である。

これから何度かスタジオを訪ねて鹿児島弁のコーチを行なうことになる。今夕はもっぱら鹿児島の歴史や習慣、音楽、食べ物等に付いての質問があり、主役の日本人役者の性格作りを手伝うことになった。

撮影は2月19日から27日までと短い。予算の関係でかなり急ピッチで行なうらしい。また長さも30分程度の映画になるとの事である。しかし完成すれば短編映画のコンテストなどにも出展し、私の名前も鹿児島弁コーチとして画面に出るらしい。

もともと映画には関心のある私である。またイタリアや日本、中国の若者達との交流も楽しい。現在私の方も新事業立ち上げ中で忙しいのだが、親しい友人からの頼みでもあり、そして郷里鹿児島に関与することでもあり、週に一回程度はお手伝いしようと思っている。(終わり)

[鶴亀 彰]

 

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