アニメパワー

私はあまりアニメには詳しくありません。しかし日本が世界の中でどのような貢献が出来るかということに関心がある私は、アニメが日本の現代文化の一つとして世界中で楽しまれていることに大いな喜びを感じています。

ロサンゼルスのダウンタウンにある現代美術館で村上隆という日本人アーティストの作品展が開催されていると知り、訪ねてみました。この美術館はMOCAという名前で、いくつか建物がありますが、その中の一つであるThe Geffen Contemporary at MOCAで開催されています。

1962年生まれの村上さんはカイカイキキというグループの主宰者で、その世界では良く知られた人のようです。英文の解説書には1993年にTokyo National University of Fine Arts and Musicで博士号取得とありました。日本画を基礎にアニメの世界を広げているということです。

美術館に向かう人の波がありました。若い人が多かったですが、芸術家風の中高年の人も少なくありませんでした。会場に入ると家族連れの姿もありました。子供たちが目を輝かせて壁に飾られた絵や会場の中心に置かれた像などを眺めていました。90点位の作品が展示されていました。

色彩溢れた、そして楽しい絵柄が多いでした。ドラミッチャンに似たような可愛い絵もありました。深みはないが、全体的に明るく、軽快感がありました。たかがアニメ、されどアニメ、アニメがここまで多くの人々に愛されている現状を眼のあたりにし、あらためてアニメパワーを実感しました。(終わり)

[鶴亀 彰]

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李朝滅亡

「李朝滅亡」という本を読みました。著者は片野次雄さんで、出版社は新潮社です。一九九四年に出版されています。明治の初めから大正、そして昭和と、軍事大国日本の陰で数々の圧迫を受け、ついには潰えた李王朝の物語です。それは同時に朝鮮半島に住む人々の苦難の歴史でもあります。

私も帝国主義時代のロシアや中国、日本、それに欧州や米国も加わる覇権争いの中で、朝鮮半島の人々の歴史に翻弄される姿や、「日帝三十六年」と朝鮮半島の人々が今も恨みを込めて呼ぶ一九一〇年の日韓併合から一九四五年の日本の敗戦までの屈辱の時代について色んな本も読んで来ました。

しかし歴史書からは十分に人々のうめきの声は聞こえて来ません。今回読んだ本は著者の「はじめに」の言葉にあるように、史実を踏まえたうえで、主要な人物たちの挙動や肉声を想像し、イメージを作り上げてあります。それだけに朝鮮半島の人々の悔しさや怒りや恨みがより鮮明に伝わって来ます。

太平洋戦争の始まった一九四一年に生まれ、自分自身は日韓併合やその後の日本軍や憲兵隊による圧制に直接の関与はないものの、私は祖国日本を愛する日本人の一人として、このような事実を知ると、心が潰れるように痛みます。しかし私の痛みごときは、実際にそれを体験した人々の痛みには例えようもないことも判ります。

私達に何が出来るのでしょうか? やはりそれは歴史の事実を知り、そして苦しみの中で死んで行った人々や傷ついた人々の思いの一端を感じることではないでしょうか? それは決して自虐的歴史観などではなく、隣国の人々との理解と友好をはぐくむ第一歩なのではないだろうかと思っています。

戦後六十年余り、日本は平和の中で過ごして来ました。戦いにより他国の人を一人として殺害していません。これは素晴らしいことであり、誇るべきことです。しかしその素晴らしさや誇りを真に強化するためには、戦後に生きる戦争を知らない私達も歴史の事実を知り、他国の人々が受けた苦難の事実を知ることが大切であると感じています。(終わり)

[鶴亀 彰]

 

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大河の一滴

面白い催しを行なっている友人がいます。「チャリティ餅つき大会」と言う催しです。日本の餅つきをアメリカに住む人々にも体験させ、出来上がった餅を三個二ドルで買って貰い、売上金の全額をアフリカやアジアの子供たちに送ろうという趣旨です。

餅つき以外にも空手や剣道のデモンストレーションや音楽演奏、そして小さい子供たちを楽しませる催しが行なわれました。天気にも恵まれ、なかなかの人出でした。一般アメリカ人、日系アメリカ人、日本人駐在員家族など参加者はいろいろでした。

昨年が第一回目で今年が二回目でした。不動産業をいとなみながら、地域社会への貢献とささやかながらでも世界の子供たちに役立ちたいと言う思いで始めたそうです。催しは二十名ほどのボランティアや彼の会社や協賛する企業からの材料提供や寄付で支えられています。

従って経費を引く事はなく、売り上げの全額は友人が親しくしている牧師さんを通じて日本国際飢餓対策機構に寄付され、そこから子供たちに送られます。昨年の売り上げはバングラディッシュの小児病棟の栄養失調の子供たちに送られました。

今年はウガンダの「逃れの家」の少年・少女に送られるそうです。同国では反政府軍が兵卒補充のため少年を拉致し、少年兵にしたてており、また幼い少女達も拉致され兵士の世話などさせられているそうです。虐待や強姦なども珍しくないようです。彼等が反政府軍から逃れ、保護される場所が民間支援団体によって運営されているそうです。

海苔巻きと黄粉餅とあんころ餅を一個ずつかじりながら、私の餅代とささやかな額の寄付金がウガンダの少年・少女を守るための団体に届く姿を想像し、私はこの日の青空と同じように、ちょっぴりちょっぴり澄んだ気持でした。本当にささやかな催しですが、このような一滴の行動が、うんと集れば、大きな大河となりえます。まずは一歩の行動が大切なようです。(終わり)

[鶴亀 彰]

 

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文楽の素晴らしさ

リトル・トーキョーの日米劇場で公演された文楽を観に行った。ボストンを皮切りに米国六都市を回るツアーの最終日が一昨日の土曜日だった。日本の文楽協会から総勢三十六名の一行が渡米し、各地の文化団体等の支援を得て、行なったものである。 全米で十回の公演はいずれも満員の盛況だったと言う。私が観た最終日の公演も超満員だった。最近の日本文化に関する米国人の興味の高まりもあり、六・七割の観客は米国人で、日系人よりは多かった。
最初に「伊達娘恋緋鹿子(だてむすめこいのひがのこ)」が短めに上演された。八百屋の娘、お七が恋人の吉三郎の命を守ろうとして、雪吹雪が舞う夜に、禁断の火の見櫓に上り半鐘を鳴らすラブストーリーである。その後、日本では見られない、英語による浄瑠璃や三味線や人形に関する判りやすい説明があった。そして義太夫の声での表現、三味線による音での表現、そして人形による表情や動作の表現の仕方が、一つ一つ詳細に解説された。実にユーモアにも溢れ、楽しい説明だった。

その理解のもとに「壷坂観音霊験記(つぼさかかんのんれいげんき)」が上演された。盲目の夫、沢一を献身的に愛する妻、お里の夫婦愛の物語である。長丁場の人形劇でありながら、観客を飽きさせない。舞台の上部に映し出された翻訳文の英語でストーリーも判る。物語が進む内に人形であるお里や沢一への共感や一体感が高まるのを覚えた。その感覚は私だけでなく、観客全員が共有したようである。米国人観客も吸い込まれるように舞台上の人形を追っている。舞台の黒子の姿は意識から消え、人形が生命あるように動く。
終ると劇場全体を揺るがさんばかりの拍手が沸きあがった。三度もカーテンコールが行なわれ、観客は総立ちのスタンディング・オベーションである。三百年以上も前に生まれ、現在では「文楽」と呼ばれる人形浄瑠璃が言葉や人種を超えて伝わった瞬間である。「壷坂観音霊験記」は百年ほど前に書かれた新作だと言う。しかしその信仰心や夫婦愛は完全に現代の米国人にも感動を与えた。そして人形と三味線と義太夫の三位一体の完成された芸中としての素晴らしさも彼等の胸を打ったようである。
拍手が鳴り止まない劇場の椅子に座りながら、私は大阪の庶民が作り上げ愛したこの演劇とその芸術性に深い感動と誇りを感じていた。三百年前から、いや、それ以前から、大阪で生き続けて来た人々への強い親しみを感じていた。日本では「すでに知られているもの」として、特に文楽の上演に先駆けて、今回のような詳細で判りやすい説明などは行なわれない。義太夫を楽しむ世代が消えつつある現代、若い世代を米国人観客と同じように捉え、十分な説明を与えると、きっと観客層は広がると思う。
私自身、今まで一・二度覗いた事はあったが、今回のように楽しみ方を十分に説明されていなかっただけに、それほどの感銘は受けなかった。しかしその深さを知る事によって今回、オペラや歌舞伎やミュージカルにも負けない素晴らしい舞台演劇を楽しむ事が出来た。また機会があれば日本でも楽しみたいと思っている。(終わり)

[鶴亀 彰]

 

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六年の歳月

六年前の今日でした。まだ午前六時前だというのに何やら階下がうるさいので、息子に文句言おうと思ってパジャマ姿のまま降りたら、息子と彼のガールフレンドが興奮の表情でテレビを観ていました。世界貿易センター北棟にジェット機が突っ込んだのはニューヨーク時間午前8時46分でしたが、ロサンゼルス時間では午前5時46分でした。

同時多発テロの発生でした。110階建ての北棟の93-99階当たりにジェット機が突っ込み、もうもうと黒煙が立ち昇り、悪魔の舌のように赤い炎が燃えていました。そこへまた一機のジェット機が飛んで来て、今度は同じ110階建ての南棟の78-85階当たりにまっすぐ突っ込んで行きました。まるでハリウッドの映画を観ている思いでした。そして二つの大きな建物が崩れ落ちました。

あれから六年。曜日も今日と同じ火曜日でした。現在では2、750人が犠牲者として数えられています。今日はニューヨークを始め、各地で追悼式が営まれています。一般米国民の衝撃は少しずつ薄れつつあるものの、愛する者を喪った人々の悲しみや無念さは今も消えることはありません。ニューヨーク市と遺族の間にも微妙な意識のずれが生まれているようです。

今日の追悼式は現場の向かい側の公園で開かれました。市側としては現場ではいろんな新しい建築が進んでおり、危険だからという理由でした。しかし遺族達はやはり愛する者達が死んだ場所での追悼を望みました。結局妥協が成立し、式は公園で行なうものの、その後に遺族が現場を訪れても良いことになりました。

米国人のショックと怒りはアフガン戦争、イラク戦争となりました。現在では同時多発テロの死亡者の数を何十倍も超す命が失われています。それは米国人、アフガニスタン人、イラク人を問いません。無辜の民を殺した同時多発テロですが、イラクでは今日も無辜の民が巻き込まれ死んでいます。米国人兵士も死んでいます。

私には米国に対する一つの疑問があります。死者への追悼やアルカイダのメンバーへの怒りの感情等は続いているものの、そもそも何故このような同時多発テロが起きたのかという真の原因に対する追求が殆どなされていないことです。何故防げなかったのかという反省と、そしてこれからの防止のための方策などしか考えられていないようです。

話は飛びますが、日本の真珠湾攻撃に対しても、何故日本が攻撃したのかという真の原因についての調査や理解はいまだに行なわれないままです。一方的に「軍国主義に狂奔した日本が卑劣な攻撃を仕掛けて来た」との解釈で終っています。真摯な調査や原因解明に努力していれば、ひょっとしたら、その後のベトナム戦争や湾岸戦争、同時多発テロ、アフガン戦争、イラク戦争もなかったかも知れません。

最近「No End in Sight」というドキュメンタリー映画が米国で制作されたそうです。私はまだ観ていないのですが、イラク戦争に突っ込んだ米政府首脳陣がいかにイラクの事情に疎く、言葉や文化を理解することもなく、自分達の考えだけで判断したために、現在のイラクの混迷を招いているかという状況を描いたもののようです。

太平洋戦争で父を喪った私は、当時の両国の指導者達も同様であったと思っています。相手の国の言葉や文化、事情などを理解しないまま、ただお互いに一方的に主張を繰り返すことに終始したことが当時の外交文書などを読むと良く判ります。相互理解の鍵となる言葉や文化の理解と共に、相手への尊敬と思いやりの心が大切だと、今更ながら感じています。(終わり)

[鶴亀 彰]

 

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7日間の旅

7月16日から22日までの7日間、佐世保、嬉野温泉、鹿児島、熊本、大阪と旅し、本日また東京へ戻ってきました。外国居住者のために発行されるJR Rail Passをフルに活用し、列車の旅をたっぷり楽しみました。

いつもこの頃の訪日で感じることですが、車窓から覗く水田の緑は目に優しく映ります。瑞穂の国ならではの風景です。心和む稲田や里村の姿を見ながら、静かに思いに耽る時間が飛行機ではない列車の旅の楽しさです。

佐世保では伊166潜水艦戦没者の慰霊を30名ほどの遺族と一緒に行いました。夕刻には嬉野温泉で懇親会が開かれました。父を喪った7人の遺児も集いました。父亡き後の63年の生活を語り合いました。
鹿児島では高校の友人達が集い、生れて初めての私の著書の出版を祝って呉れました。

熊本ではシニアネットのグループの皆さんと再会し、極めて和気藹々とした出版を祝う集いが開かれました。 大阪でも別なシニアネットの皆さんと極めて親しい雰囲気の中での語らいが楽しいでした。

7日間、一日も欠ける事無く、友人・知人が揃い、楽しい会食の夕べを持ちました。連夜美味しい料理や酒が続き、歓談が続き、嬉しいと共に、ちょっぴり疲れ気味です。明日は一日粗食で過ごしたいと思います。(終わり)

[鶴亀 彰]

 

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ロサンゼルス政党討論会2007

今日はある意味で歴史的なイベントに参加しました。それは初めての海外における政党討論会です。ロサンゼルスの南の郊外の町で、日本からの進出企業の多いトーランスにあるホリディインを会場に行なわれました。

これは海外有権者ネットワークLAが主催したものですが、自民党は猪口邦子衆院議員(東京比例区 自民党幹事長補佐 国際局局長代行)、公明党 は丸谷佳織衆院議員(北海道比例区 公明党国会対策副院長 国際局次長)、民主党は西村ちなみ衆院議員(新潟1区 民主党男女共同参画推進本部事務局次長  広報委員長代理)、そして共産党は笠井亮衆院議員(東京比例区 共産党国際局次長)を送って来ました。

第一部では近く行なわれる参議院選挙に対して各党はどのような争点や課題をもっているかの説明や、日本と世界の将来への展望などが語られまし た。また第二部では会場を一杯に埋めた参加者との質疑応答が行なわれました。司会は毎日新聞論説委員長をこの春に退任した石原進さんでした。

ここでそれらの内容をお話しするのはスペースの関係もあり、止めますが、今日の歴史的イベントに参画し、感じた事が二点あります。一つは14年 前には絶対不可能だと思われた海外在住者の日本国政選挙への参加を見事に実現したボランティア達のねばりとひたむきな努力です。いろんな挫折を味わいなが ら、最後には国を訴え、最高裁での勝利判決を勝ち取りました。「なせばなる、思いは必ず実現する」の格言を目の前にした思いでした。

二番目は今回参加した議員の皆さんはいずれも海外経験があり、国際局担当であると言う事もあるでしょうが、日本国内での視点に加え、客観的な視 点で捉える発言が多かった事です。日本の政治の現状を踏まえながら、より開かれた政治のあり方を模索していらっしゃるように感じました。皆さんが論旨明確 で、しっかりした自分の考えをお持ちでした。私よりは大分若い皆さんですが、日本の政治の将来にちょっぴり希望を持ちました。是非母国のために頑張って欲 しいとエールを送りました。海外に住む私達も出来るだけの支援を行ないたいと思います。

[鶴亀 彰]

 

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七夕祭

二晩続けてリトル・トーキョーに行きました。いつもはあまり行かないけれど、行きだすと不思議なもので、連日続くことになりました。今夕はホテル・ ニュー・オータニで行なわれた七夕祭参加が目的でした。こちらはまだ7月6日ですが、明日は大きな会議が予定されているとのことで、今年だけは一日早めて の七夕祭でした。

妻に「用心してよ」と注意されながら、私も浴衣姿に足には下駄と言う格好で家を出ました。下駄の歯がブレーキに引っかからないように注意しなが らフリーウェイを走りました。安全のためには靴の方が良いのでしょうが、浴衣に靴では様になりません。ここはすっきり裸足に下駄がベストです。

ホテルの二階に空中庭園があり、池や滝や築山が日本情緒をかもし出しています。そこに舞台を作り、恒例の着物のファッション・ショーが行なわれましたが、それを担当したのが私が会長を努めるLA着物クラブでした。

自分では袴の紐や帯もちゃんと結べない私などは会長になどなる資格はないのですが、ある理由で、昨年、今年と会長を努めています。その理由はま た別の機会にお話しましょう。現在60名ほどの着物好き人間達が会員になっています。年間を通じて色んなプログラムを行なっています。

会の目的は着物を着る喜びや楽しさを日本人、アメリカ人を問わず、広めて行こうとするものです。3分の1位はアメリカ人の会員です。外人さんの 着物姿はともすると様にならない人が多いのですが、さすがにLA着物クラブの皆さんは日本人にも負けない素晴らしさです。わざわざ日本に行って着物を作っ た女性などもいます。着物以外にも茶道や華道、琴や尺八などを勉強している人もいます。

今夕の英語の司会をして呉れたのはエイミー・スタインバーガーさんと言う、まだ二十台後半の女性でした。サウスカロライナ州出身の彼女は日本の アニメに憧れてロサンゼルスに来ました。こちらの芸術大学で専門にイラストなどを学びました。ディズニーや大学からも奨学資金を貰った優秀なイラストレー ターです。現在は出版関係の会社で働いています。

彼女は私よりも背が高い女性ですが、浴衣の着付けもばっちりでした。濃い藍色地に白い花の模様が浮かび、赤い帯が、彼女の金髪と白い肌にとても調和していました。日本人の着付けの専門の先生の日本語の説明を上手に英語で通訳していました。

日本でもしばらく生活した事があり、日本の着物について、生活習慣について、可愛いイラストに英語での説明を付け、日本を知らないアメリカ人に判りやすく説明しています。近くそれらを纏めた絵本がアメリカの出版社から発刊される予定だそうです。

ファッションショーの観衆も半分以上はアメリカ人でした。日本人の奥様と一緒に着物姿のまだ小さい女の子の手を引きながら、浴衣姿に木の下駄を カロコロ言わせながら歩いているアメリカ人男性がいました。彼も浴衣姿で、私が「どうですか、日本の浴衣は?」と聞くと、即座に「I love it. It’s so comfortable!」との返事が返って来ました。ショーが終った後、近くの屋上ビアガーデンで、右手には生ビールのジョッキ、左手には焼き鳥の串を 持つ彼の姿がありました。テーブルの上には枝豆も乗っていました。

まだまだ数的にはそんな多くないですが、日本文化の大切な一つとして、着物に興味を持ち、自分で着てみたり、歴史を勉強したりするアメリカ人も 着実に増えています。エイミー・スタインバーガーさんや枝豆の彼もそのような人たちの代表だと思いました。ところで全く話は変わりますが、「七夕」は比較 的新しい書き方で、本当は昔は「棚機」と書いたそうです。夕食の時に隣り合わせた83歳の日本人の老人に教えられました。

[鶴亀 彰]

 

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こけこっこ

昨夜はバーベキューを楽しみましたが、今夜は焼き鳥屋に行きました。ロサンゼルスのダウンタウンで働く友人と一緒にリトル・トーキョーで人気のある焼き鳥屋で食べて飲んで、歓談しました。

店の名前が「こけこっこ」です。英語の看板には「Kokekokko」とありました。店主は立教大学の卒業生で、一緒に行った友人も立教大学なので、喜ばせようと、連れて行ったのですが、残念ながら留守でした。

店員さんの話だと、店主は19年ぶりで初めての休暇で、欧州旅行に行っていますとの事でした。渡米し、異郷の地での商売を成功させるために長期の休みは取らずに、一生懸命働いて来たに違いありません。

店も軌道に乗り、やっと長期休暇が取れるようになったのでしょう。私達は午後6時半から9時近くまでいたのですが、全ての席は満員で、入り口には立ちながら、空席を待つ人の姿が絶えませんでした。

お客さんは日本人か日系人半分、そして残りはアメリカ人です。皆美味しそうに食べていました。ちょっと面白かったのはビールを飲んでいるのは日本人で、酒を飲んでいるのはアメリカ人と分かれていました。

以前は日本食と言えば、スキヤキ・テンプラ・サシミ・スシだけしか知らなかったアメリカ人も、最近ではヤキトリも大いに楽しむようになりました。これからも「こけこっこ」は繁盛しそうです。

[鶴亀 彰]

 

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41回目の独立記念祭

7月4日はアメリカの独立記念日です。1966年に2年間の駐在命令で渡米しましたが、人生は判らないもの、今日が41回目の独立記念祭となりました。

ここ十数年、我が家では親しい友人・知人と裏庭でバーベキュー・パーティを行なうのが恒例です。しかし昨年はオランダ海軍の潜水艦部隊創立100周年行事に招待されたため、バーベキューはお休みでした。

2年ぶりとあって、友人・知人も懐かしそうに集って呉れました。と言うのは我が家のバーベキューは夕食の後、日が暮れると全員が二階建ての屋根に上り、町々で上げられる花火を鑑賞するのです。

小高い丘の中腹にある我が家は暑い夏でも涼風が吹き、二階の屋根からだと見晴らしも良く、180度位の広さでアナハイムのデズニーランドからハリウッド、サンタモニカの花火までが見渡せます。

アメリカの独立記念祭は花火がないと盛り上がりません。全米中で花火大会が行なわれます。そして家々ではバーベキューが定番です。この日は消防署が一番忙しい日です。引火して火事が発生するからです。

幸いに我が家は火事を起こすこともなく、極めて安全に和気藹々と楽しみました。腹と目に十分なご馳走を与えた後には、10歳になる女の子、ユーチャンがバイオリンを演奏して呉れ、耳にもご馳走でした。

独立祭に歌われる歌とバッハのラルゴと言う曲を弾いて呉れました。子供達も大人達もその上手な演奏に拍手喝さいでした。ユーチャンは6歳からバイオリンを習い始め、練習は大変だけど、大好きだそうです。
(終わり)

[鶴亀 彰]

 

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