文楽の素晴らしさ

リトル・トーキョーの日米劇場で公演された文楽を観に行った。ボストンを皮切りに米国六都市を回るツアーの最終日が一昨日の土曜日だった。日本の文楽協会から総勢三十六名の一行が渡米し、各地の文化団体等の支援を得て、行なったものである。 全米で十回の公演はいずれも満員の盛況だったと言う。私が観た最終日の公演も超満員だった。最近の日本文化に関する米国人の興味の高まりもあり、六・七割の観客は米国人で、日系人よりは多かった。
最初に「伊達娘恋緋鹿子(だてむすめこいのひがのこ)」が短めに上演された。八百屋の娘、お七が恋人の吉三郎の命を守ろうとして、雪吹雪が舞う夜に、禁断の火の見櫓に上り半鐘を鳴らすラブストーリーである。その後、日本では見られない、英語による浄瑠璃や三味線や人形に関する判りやすい説明があった。そして義太夫の声での表現、三味線による音での表現、そして人形による表情や動作の表現の仕方が、一つ一つ詳細に解説された。実にユーモアにも溢れ、楽しい説明だった。

その理解のもとに「壷坂観音霊験記(つぼさかかんのんれいげんき)」が上演された。盲目の夫、沢一を献身的に愛する妻、お里の夫婦愛の物語である。長丁場の人形劇でありながら、観客を飽きさせない。舞台の上部に映し出された翻訳文の英語でストーリーも判る。物語が進む内に人形であるお里や沢一への共感や一体感が高まるのを覚えた。その感覚は私だけでなく、観客全員が共有したようである。米国人観客も吸い込まれるように舞台上の人形を追っている。舞台の黒子の姿は意識から消え、人形が生命あるように動く。
終ると劇場全体を揺るがさんばかりの拍手が沸きあがった。三度もカーテンコールが行なわれ、観客は総立ちのスタンディング・オベーションである。三百年以上も前に生まれ、現在では「文楽」と呼ばれる人形浄瑠璃が言葉や人種を超えて伝わった瞬間である。「壷坂観音霊験記」は百年ほど前に書かれた新作だと言う。しかしその信仰心や夫婦愛は完全に現代の米国人にも感動を与えた。そして人形と三味線と義太夫の三位一体の完成された芸中としての素晴らしさも彼等の胸を打ったようである。
拍手が鳴り止まない劇場の椅子に座りながら、私は大阪の庶民が作り上げ愛したこの演劇とその芸術性に深い感動と誇りを感じていた。三百年前から、いや、それ以前から、大阪で生き続けて来た人々への強い親しみを感じていた。日本では「すでに知られているもの」として、特に文楽の上演に先駆けて、今回のような詳細で判りやすい説明などは行なわれない。義太夫を楽しむ世代が消えつつある現代、若い世代を米国人観客と同じように捉え、十分な説明を与えると、きっと観客層は広がると思う。
私自身、今まで一・二度覗いた事はあったが、今回のように楽しみ方を十分に説明されていなかっただけに、それほどの感銘は受けなかった。しかしその深さを知る事によって今回、オペラや歌舞伎やミュージカルにも負けない素晴らしい舞台演劇を楽しむ事が出来た。また機会があれば日本でも楽しみたいと思っている。(終わり)

[鶴亀 彰]

 

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