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著者からの挨拶

2003年春、62歳になった私は、56歳の妻と一緒に世界一周旅行に出かけました。101日間で、太平洋の島々や日本、中国、マレーシア、パキスタン、アラブ首長国、トルコ、ブルガリア、ルーマニア、ロシア、オランダを訪れる予定でした。ところがその旅は北京で巻き込まれたSARS騒ぎのために中断され、46日目にすごすごとロサンゼルスに舞い戻る羽目になりました。

しかし、そのことが、あるひょんなご縁と出来事から、父を求める旅につながりました。私が3歳のときに、潜水艦の機関長として南の海で戦死した父と乗っていた潜水艦を探す旅です。その旅は実に不思議な出会いの連続となりました。父の潜水艦が沈めたオランダの潜水艦の乗組員遺族と出会いました。父の戦友たちの遺族と出会いました。父の仇であるイギリス潜水艦の艦長と出会いました。

父を求める旅は2004年、2005年、2006年と続きました。実は現在も続いています。太平洋戦争で海の隠密として極限かつ熾烈な殺し合いをした日英蘭三隻の潜水艦ですが、100歳を超えたイギリス潜水艦艦長と、2代目、3代目の家族たちは、恩讐を越えて、思いやりにあふれた交流を続けています。奇跡にも近い、不思議な関係が生まれています。

この世の中は私たちが思う以上に、不思議で、豊かで、面白い場所なのではないかと、私と妻は感じています。忙しく流れる日々の中で、ちょっと耳を澄まし、揺れる緑の木々のそよぎを見れば、そこに、この世にはいないはずの愛する者たちの存在が感じられるかもしれません。光となって、風となって、あなたを守っているのかもしれません。これはそのように感じるようになった私たちの日記です。

■著者プロフィール
鶴亀彰(つるかめあきら)
1941年鹿児島県生まれ。鹿児島ラ・サール高校を経て、京都外国語大学を卒業。1964年に旅行会社のニュー・オリエント・エキスプレス社入社。1966年、同社の米国オフィス駐在を命ぜられ渡米。ロサンゼルスとニューヨークで勤務。1980年にロサンゼルスでカリフォルニア・コーディネーターズ社を設立。日本から米国やメキシコに進出する企業の現地における支援や、米国ハイテクベンチャー企業の日本市場進出を手伝う。2003年に、戦死した父を求める旅を妻と一緒に始め、伊号第百六十六潜水艦と関係する日英蘭の人々と出会いと心の交流を果たした。その交流はさらに広がり深まっている。現在は日米の仲間と一緒に優れた技術を持つ日本の中小企業のニッチで高品質な技術商品の海外マーケティングを支援する橋リンク社の運営に関わるかたわら、日米を中心に執筆・講演活動を行っている。ロサンゼルス郊外、ロミタ市在住。在米45年。

ホーム への3件のフィードバック

  1. 日高承子 のコメント:

    柏の平川さんを調べていたら
    ここに辿りつき本を
    父親に
    送ってみようと思います。
    私も鹿児島です
    平川さんは父親の先輩です

  2. 石田愼一 のコメント:

    今朝(2018年7月24日)鹿児島南日本新聞掲載の写真入り記事を見させて頂きました。今回も大きく載ってましたね。
    お元気ですか。髪は経年で雪のように白くなられていましたが。
    僕もパソコンを長男が勤務しております(NEC技術研究所)関係で数十年使っておりましたNTTからSOFTBANKに変更しました。此の為メールアドレス変更になりました。彰叔父さん何かございましたらishi342@yahoo.co.jp宛て連絡お願い致します。

    • 鶴亀彰 のコメント:

      慎一君、久しぶりのメール、懐かしく読ませて頂きました。きっと慎一君が読んだ南日本新聞の記事は私が母校の照島小学校で講演した時のものですね。母親の50回忌法要や高校の喜寿同窓会の後、佐世保での父の潜水艦の沈没72周年の慰霊祭などに参加し、バタバタした旅でした。出来れば上野のターチャン始め、皆さんにもご挨拶したかったのですが、今回は残念でした。またメールでやりとりしましょう。

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