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ハリウッド映画鹿児島弁コーチ

 新しい肩書きが付いたようである。「ハリウッド映画鹿児島弁コーチ」とでも名付けようか? ジャスティン・アンブロシーノというイタリア人監督さんが現在制作準備中の映画で鹿児島出身の若者が主役となり、母親との会話部分が鹿児島弁である。

 誰か鹿児島弁をコーチする人がいないかと探していたらしい。この映画に母親役で出演する志摩明子さんという日本人俳優さんから依頼の電話が入った。彼女は「硫黄島からの手紙」に在郷婦人会の会長さん役で出演している。私の昔からの友人である。

 映画の内容等についてはまだ今の時点では公開出来ないが、ちょっと変わった映画である。またハリウッド映画と大げさに伝えたが、実際はアメリカン・フィルム・インスティチュートで映画制作を修行中の学生監督さんによる映画である。

 拙宅からは一時間ほど掛かるがハリウッドの山の上にある同インスティチュートを訪れた。面白そうだと言い、妻も同行した。ここは映画制作を目指す世界中からの学生が集っている。最近は日本からの若者も少なくない。将来の映画人を育成する場所である。

 これから何度かスタジオを訪ねて鹿児島弁のコーチを行なうことになる。今夕はもっぱら鹿児島の歴史や習慣、音楽、食べ物等に付いての質問があり、主役の日本人役者の性格作りを手伝うことになった。

 撮影は2月19日から27日までと短い。予算の関係でかなり急ピッチで行なうらしい。また長さも30分程度の映画になるとの事である。しかし完成すれば短編映画のコンテストなどにも出展し、私の名前も鹿児島弁コーチとして画面に出るらしい。

 もともと映画には関心のある私である。またイタリアや日本、中国の若者達との交流も楽しい。現在私の方も新事業立ち上げ中で忙しいのだが、親しい友人からの頼みでもあり、そして郷里鹿児島に関与することでもあり、週に一回程度はお手伝いしようと思っている。(終わり)

[鶴亀 彰]

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アニメパワー

私はあまりアニメには詳しくありません。しかし日本が世界の中でどのような貢献が出来るかということに関心がある私は、アニメが日本の現代文化の一つとして世界中で楽しまれていることに大いな喜びを感じています。

 ロサンゼルスのダウンタウンにある現代美術館で村上隆という日本人アーティストの作品展が開催されていると知り、訪ねてみました。この美術館はMOCAという名前で、いくつか建物がありますが、その中の一つであるThe Geffen Contemporary at MOCAで開催されています。

 1962年生まれの村上さんはカイカイキキというグループの主宰者で、その世界では良く知られた人のようです。英文の解説書には1993年にTokyo National University of Fine Arts and Musicで博士号取得とありました。日本画を基礎にアニメの世界を広げているということです。

 美術館に向かう人の波がありました。若い人が多かったですが、芸術家風の中高年の人も少なくありませんでした。会場に入ると家族連れの姿もありました。子供たちが目を輝かせて壁に飾られた絵や会場の中心に置かれた像などを眺めていました。90点位の作品が展示されていました。

 色彩溢れた、そして楽しい絵柄が多いでした。ドラミッチャンに似たような可愛い絵もありました。深みはないが、全体的に明るく、軽快感がありました。たかがアニメ、されどアニメ、アニメがここまで多くの人々に愛されている現状を眼のあたりにし、あらためてアニメパワーを実感しました。(終わり)

 

(秘密日記は記入されていません)

[鶴亀 彰]

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李朝滅亡

 「李朝滅亡」という本を読みました。著者は片野次雄さんで、出版社は新潮社です。一九九四年に出版されています。明治の初めから大正、そして昭和と、軍事大国日本の陰で数々の圧迫を受け、ついには潰えた李王朝の物語です。それは同時に朝鮮半島に住む人々の苦難の歴史でもあります。

 私も帝国主義時代のロシアや中国、日本、それに欧州や米国も加わる覇権争いの中で、朝鮮半島の人々の歴史に翻弄される姿や、「日帝三十六年」と朝鮮半島の人々が今も恨みを込めて呼ぶ一九一〇年の日韓併合から一九四五年の日本の敗戦までの屈辱の時代について色んな本も読んで来ました。

 しかし歴史書からは十分に人々のうめきの声は聞こえて来ません。今回読んだ本は著者の「はじめに」の言葉にあるように、史実を踏まえたうえで、主要な人物たちの挙動や肉声を想像し、イメージを作り上げてあります。それだけに朝鮮半島の人々の悔しさや怒りや恨みがより鮮明に伝わって来ます。

 太平洋戦争の始まった一九四一年に生まれ、自分自身は日韓併合やその後の日本軍や憲兵隊による圧制に直接の関与はないものの、私は祖国日本を愛する日本人の一人として、このような事実を知ると、心が潰れるように痛みます。しかし私の痛みごときは、実際にそれを体験した人々の痛みには例えようもないことも判ります。

 私達に何が出来るのでしょうか? やはりそれは歴史の事実を知り、そして苦しみの中で死んで行った人々や傷ついた人々の思いの一端を感じることではないでしょうか? それは決して自虐的歴史観などではなく、隣国の人々との理解と友好をはぐくむ第一歩なのではないだろうかと思っています。

 戦後六十年余り、日本は平和の中で過ごして来ました。戦いにより他国の人を一人として殺害していません。これは素晴らしいことであり、誇るべきことです。しかしその素晴らしさや誇りを真に強化するためには、戦後に生きる戦争を知らない私達も歴史の事実を知り、他国の人々が受けた苦難の事実を知ることが大切であると感じています。(終わり)

[鶴亀 彰]

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大河の一滴

 面白い催しを行なっている友人がいます。「チャリティ餅つき大会」と言う催しです。日本の餅つきをアメリカに住む人々にも体験させ、出来上がった餅を三個二ドルで買って貰い、売上金の全額をアフリカやアジアの子供たちに送ろうという趣旨です。

 餅つき以外にも空手や剣道のデモンストレーションや音楽演奏、そして小さい子供たちを楽しませる催しが行なわれました。天気にも恵まれ、なかなかの人出でした。一般アメリカ人、日系アメリカ人、日本人駐在員家族など参加者はいろいろでした。

 昨年が第一回目で今年が二回目でした。不動産業をいとなみながら、地域社会への貢献とささやかながらでも世界の子供たちに役立ちたいと言う思いで始めたそうです。催しは二十名ほどのボランティアや彼の会社や協賛する企業からの材料提供や寄付で支えられています。

 従って経費を引く事はなく、売り上げの全額は友人が親しくしている牧師さんを通じて日本国際飢餓対策機構に寄付され、そこから子供たちに送られます。昨年の売り上げはバングラディッシュの小児病棟の栄養失調の子供たちに送られました。

 今年はウガンダの「逃れの家」の少年・少女に送られるそうです。同国では反政府軍が兵卒補充のため少年を拉致し、少年兵にしたてており、また幼い少女達も拉致され兵士の世話などさせられているそうです。虐待や強姦なども珍しくないようです。彼等が反政府軍から逃れ、保護される場所が民間支援団体によって運営されているそうです。

 海苔巻きと黄粉餅とあんころ餅を一個ずつかじりながら、私の餅代とささやかな額の寄付金がウガンダの少年・少女を守るための団体に届く姿を想像し、私はこの日の青空と同じように、ちょっぴりちょっぴり澄んだ気持でした。本当にささやかな催しですが、このような一滴の行動が、うんと集れば、大きな大河となりえます。まずは一歩の行動が大切なようです。(終わり)

[鶴亀 彰]

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文楽の素晴らしさ

 リトル・トーキョーの日米劇場で公演された文楽を観に行った。ボストンを皮切りに米国六都市を回るツアーの最終日が一昨日の土曜日だった。日本の文楽協会から総勢三十六名の一行が渡米し、各地の文化団体等の支援を得て、行なったものである。 全米で十回の公演はいずれも満員の盛況だったと言う。私が観た最終日の公演も超満員だった。最近の日本文化に関する米国人の興味の高まりもあり、六・七割の観客は米国人で、日系人よりは多かった。
 最初に「伊達娘恋緋鹿子(だてむすめこいのひがのこ)」が短めに上演された。八百屋の娘、お七が恋人の吉三郎の命を守ろうとして、雪吹雪が舞う夜に、禁断の火の見櫓に上り半鐘を鳴らすラブストーリーである。その後、日本では見られない、英語による浄瑠璃や三味線や人形に関する判りやすい説明があった。そして義太夫の声での表現、三味線による音での表現、そして人形による表情や動作の表現の仕方が、一つ一つ詳細に解説された。実にユーモアにも溢れ、楽しい説明だった。

 その理解のもとに「壷坂観音霊験記(つぼさかかんのんれいげんき)」が上演された。盲目の夫、沢一を献身的に愛する妻、お里の夫婦愛の物語である。長丁場の人形劇でありながら、観客を飽きさせない。舞台の上部に映し出された翻訳文の英語でストーリーも判る。物語が進む内に人形であるお里や沢一への共感や一体感が高まるのを覚えた。その感覚は私だけでなく、観客全員が共有したようである。米国人観客も吸い込まれるように舞台上の人形を追っている。舞台の黒子の姿は意識から消え、人形が生命あるように動く。
 終ると劇場全体を揺るがさんばかりの拍手が沸きあがった。三度もカーテンコールが行なわれ、観客は総立ちのスタンディング・オベーションである。三百年以上も前に生まれ、現在では「文楽」と呼ばれる人形浄瑠璃が言葉や人種を超えて伝わった瞬間である。「壷坂観音霊験記」は百年ほど前に書かれた新作だと言う。しかしその信仰心や夫婦愛は完全に現代の米国人にも感動を与えた。そして人形と三味線と義太夫の三位一体の完成された芸中としての素晴らしさも彼等の胸を打ったようである。
 拍手が鳴り止まない劇場の椅子に座りながら、私は大阪の庶民が作り上げ愛したこの演劇とその芸術性に深い感動と誇りを感じていた。三百年前から、いや、それ以前から、大阪で生き続けて来た人々への強い親しみを感じていた。日本では「すでに知られているもの」として、特に文楽の上演に先駆けて、今回のような詳細で判りやすい説明などは行なわれない。義太夫を楽しむ世代が消えつつある現代、若い世代を米国人観客と同じように捉え、十分な説明を与えると、きっと観客層は広がると思う。
 私自身、今まで一・二度覗いた事はあったが、今回のように楽しみ方を十分に説明されていなかっただけに、それほどの感銘は受けなかった。しかしその深さを知る事によって今回、オペラや歌舞伎やミュージカルにも負けない素晴らしい舞台演劇を楽しむ事が出来た。また機会があれば日本でも楽しみたいと思っている。(終わり)

[鶴亀 彰]

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六年の歳月

 六年前の今日でした。まだ午前六時前だというのに何やら階下がうるさいので、息子に文句言おうと思ってパジャマ姿のまま降りたら、息子と彼のガールフレンドが興奮の表情でテレビを観ていました。世界貿易センター北棟にジェット機が突っ込んだのはニューヨーク時間午前8時46分でしたが、ロサンゼルス時間では午前5時46分でした。

 同時多発テロの発生でした。110階建ての北棟の93-99階当たりにジェット機が突っ込み、もうもうと黒煙が立ち昇り、悪魔の舌のように赤い炎が燃えていました。そこへまた一機のジェット機が飛んで来て、今度は同じ110階建ての南棟の78-85階当たりにまっすぐ突っ込んで行きました。まるでハリウッドの映画を観ている思いでした。そして二つの大きな建物が崩れ落ちました。

 あれから六年。曜日も今日と同じ火曜日でした。現在では2、750人が犠牲者として数えられています。今日はニューヨークを始め、各地で追悼式が営まれています。一般米国民の衝撃は少しずつ薄れつつあるものの、愛する者を喪った人々の悲しみや無念さは今も消えることはありません。ニューヨーク市と遺族の間にも微妙な意識のずれが生まれているようです。

 今日の追悼式は現場の向かい側の公園で開かれました。市側としては現場ではいろんな新しい建築が進んでおり、危険だからという理由でした。しかし遺族達はやはり愛する者達が死んだ場所での追悼を望みました。結局妥協が成立し、式は公園で行なうものの、その後に遺族が現場を訪れても良いことになりました。

 米国人のショックと怒りはアフガン戦争、イラク戦争となりました。現在では同時多発テロの死亡者の数を何十倍も超す命が失われています。それは米国人、アフガニスタン人、イラク人を問いません。無辜の民を殺した同時多発テロですが、イラクでは今日も無辜の民が巻き込まれ死んでいます。米国人兵士も死んでいます。

私には米国に対する一つの疑問があります。死者への追悼やアルカイダのメンバーへの怒りの感情等は続いているものの、そもそも何故このような同時多発テロが起きたのかという真の原因に対する追求が殆どなされていないことです。何故防げなかったのかという反省と、そしてこれからの防止のための方策などしか考えられていないようです。

 話は飛びますが、日本の真珠湾攻撃に対しても、何故日本が攻撃したのかという真の原因についての調査や理解はいまだに行なわれないままです。一方的に「軍国主義に狂奔した日本が卑劣な攻撃を仕掛けて来た」との解釈で終っています。真摯な調査や原因解明に努力していれば、ひょっとしたら、その後のベトナム戦争や湾岸戦争、同時多発テロ、アフガン戦争、イラク戦争もなかったかも知れません。

 最近「No End in Sight」というドキュメンタリー映画が米国で制作されたそうです。私はまだ観ていないのですが、イラク戦争に突っ込んだ米政府首脳陣がいかにイラクの事情に疎く、言葉や文化を理解することもなく、自分達の考えだけで判断したために、現在のイラクの混迷を招いているかという状況を描いたもののようです。

 太平洋戦争で父を喪った私は、当時の両国の指導者達も同様であったと思っています。相手の国の言葉や文化、事情などを理解しないまま、ただお互いに一方的に主張を繰り返すことに終始したことが当時の外交文書などを読むと良く判ります。相互理解の鍵となる言葉や文化の理解と共に、相手への尊敬と思いやりの心が大切だと、今更ながら感じています。(終わり)

[鶴亀 彰]

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鶴亀彰 出版記念の夕べ

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 去る7月24日、鶴亀フレンズ主宰による、“鶴亀彰「海に眠る父を求めて」出版記念の夕べ”が行われました。鶴亀フレンズの母体である246コミュニティは、インターネットを使った新しいビジネスを立ち上げる起業家を支援するコミュニティです。
 会場となった恵比寿ガーデンホールのSGIホール(日本SGI株式会社)には、約130人の来場者が。旅の写真のスクリーンショットと旅の映像が流れる中、呼びかけ人代表、株式会社キャラバンの野口壽一さんのご挨拶で会が始まりました。
 この日のメインイベントは、アイルランドで制作されたドキュメンタリー「The Reconciliation-和解-」の上映(鶴亀さんの解説付き)です。鶴亀さんの父及び伊166乗組員のかたきであるキング艦長は、アイルランドの英雄でもあります。鶴亀さんの訪問によるこの奇跡の出会いを聞きつけた地元放送局が、キング艦長の居城に集った日英蘭3ヶ国3家族3世代の交流を取材して制作されたものです(本文第九章に詳しく描かれております)。スクリーンには、鶴亀さんvsキング艦長、オランダのカチャ・ブーンストラさんvs鶴亀さんのご子息・アンドレさん、鶴亀さんvsカチャさんのご子息・パトリック・ブーンストラさん、キング艦長のご息女・レオニー・フィンさんvsカチャさんvs鶴亀さんの対話、孫世代の対談、全員の和やかな夕食や、平和を祈る植樹の模様など、感動的なシーンが次々と映し出されました。その後、呼びかけ人代表、株式会社インプレジャーの木戸康行さんからご挨拶と花束贈呈があり、会は無事に終了いたしました。
 また、ロサンゼルス駐在時代以来、鶴亀さんと25年以上親交を重ねていらっしゃる、日経CNBC常勤監査役桐山勝さんよりご祝辞をいただきました。お忙しい中駆けつけてくださり、ありがとうございました。松山バレエ団の清水哲太郎さん、森下洋子さんからは立派なお花をいただきました。ありがとうございました。
 その後、鶴亀さんを囲んだ懇親会が開催されました。

 当日の様子は246コミュニティのサイトトップに、詳細なレポートがリンクされております。ぜひご覧ください。
 また、南日本放送さんにご取材いただきました。会の模様と参加者の声が、8月3日(金)1816~1855「MBCニューズナウ」で放送されました。

[学研スタッフ]

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7日間の旅

7月16日から22日までの7日間、佐世保、嬉野温泉、鹿児島、熊本、大阪と旅し、本日また東京へ戻ってきました。外国居住者のために発行されるJR Rail Passをフルに活用し、列車の旅をたっぷり楽しみました。

いつもこの頃の訪日で感じることですが、車窓から覗く水田の緑は目に優しく映ります。瑞穂の国ならではの風景です。心和む稲田や里村の姿を見ながら、静かに思いに耽る時間が飛行機ではない列車の旅の楽しさです。

佐世保では伊166潜水艦戦没者の慰霊を30名ほどの遺族と一緒に行いました。夕刻には嬉野温泉で懇親会が開かれました。父を喪った7人の遺児も集いました。父亡き後の63年の生活を語り合いました。
鹿児島では高校の友人達が集い、生れて初めての私の著書の出版を祝って呉れました。

熊本ではシニアネットのグループの皆さんと再会し、極めて和気藹々とした出版を祝う集いが開かれました。 大阪でも別なシニアネットの皆さんと極めて親しい雰囲気の中での語らいが楽しいでした。

7日間、一日も欠ける事無く、友人・知人が揃い、楽しい会食の夕べを持ちました。連夜美味しい料理や酒が続き、歓談が続き、嬉しいと共に、ちょっぴり疲れ気味です。明日は一日粗食で過ごしたいと思います。(終わり)

[鶴亀 彰]

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伊166慰霊祭於佐世保旧海軍墓地

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▲画面左奥にあるのが佐世保鎮守府潜水艦合同慰霊碑です

 伊166乗組員の命日・7月17日に、佐世保東山海軍墓地(旧海軍墓地・東公園)にて、7人の遺児を含む30人ほどの遺族が集まり、伊166の慰霊祭が執り行われました。2004年に初めての慰霊祭が行われてから、伊166が沈むマラッカ海峡での慰霊祭を含めると、4回目の開催になります。
 佐世保は九州・四国出身者を中心に編成された第三海軍区の鎮守府が置かれた場所で、鹿児島出身である鶴亀彰さんの父・鶴一さんが乗り込んだ伊166も佐世保を母港としていました。佐世保を見渡せる立地のこの墓地には、「佐世保鎮守府潜水艦合同慰霊碑」があり、そこには伊166の名と、伊166乗組員だった戦没者の1人ひとりのお名前が刻まれています。遺体も骨も浮かばずに散ることの多い潜水艦乗組員やその遺族、戦友にとって、ここは存在の証明が出来る貴重な場所です。
 慰霊祭は1200から行われました。ご遺族の代表、若宮利夫さんの司会進行で、会長である鶴亀さんのご挨拶、黙祷、参加者一人一人による献花が為されました。その後、海軍大尉(戦死後少佐に昇進)で水雷長だった小山敏夫さんのご子息、小山誠さんのご挨拶や、遺族会の吉原ゑみ子さんや鶴亀さんのご活動でご家族の最期を知り、初めて参加されたご遺族によるご挨拶、マラッカ海峡協議会による伊号第166潜水艦探索経過報告などがありました。

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▲アイルランドのキング艦長のお城に日英蘭の3家族の3世代が植えた林檎の木に続き、2005年に平和と友情を願ってここ佐世保に植樹された桜の木がすくすくと育っています。ちなみに、2006年にはオランダ海軍基地に梨の木を植えました。

 その後、長崎の新聞、テレビ各社から取材を受けました。
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[学研スタッフ]

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東郷神社に書籍を奉納致しました

東郷神社に書籍を奉納致しました

2007年7月12日、原宿は東郷神社にて「海に眠る父を求めて 日英蘭奇跡の出会い」の奉納式が執り行われました。
東郷神社は日露戦争で活躍した東郷平八郎元帥を祀った神社で、境内には太平洋戦争中に戦没した潜水艦乗組員の慰霊碑「潜水艦殉国碑」がありま す。かねてより、鶴亀彰さんは父・鶴一さんと同じく過酷な状況で海に散った人々にもこの物語を捧げたいと考えていらしたそうです。事情を知った東郷神社の 方々も快諾してくださり、東郷神社の本殿と潜水艦殉国碑への奉納と相成りました。上の写真は本殿での奉納の様子です。

▼神社からいただいた奉納の証書です
奉納の証書

▼潜水艦を象った殉国碑の前にて。
この碑には本物の潜望鏡が使われています(上に伸びた筒がそうです)
潜水艦を象った殉国碑の前にて

▼殉国碑の隣にある「潜水艦有志に捧ぐ」碑の前にて。
機会がございましたら皆さんもぜひ一度、直接文章をご覧になってください
殉国碑の隣にある「潜水艦有志に捧ぐ」碑の前にて

▼終了後、毎日新聞の記者さんからインタビューを受けました
毎日新聞の記者さんからインタビュー

[学研スタッフ]

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