六年の歳月

六年前の今日でした。まだ午前六時前だというのに何やら階下がうるさいので、息子に文句言おうと思ってパジャマ姿のまま降りたら、息子と彼のガールフレンドが興奮の表情でテレビを観ていました。世界貿易センター北棟にジェット機が突っ込んだのはニューヨーク時間午前8時46分でしたが、ロサンゼルス時間では午前5時46分でした。

同時多発テロの発生でした。110階建ての北棟の93-99階当たりにジェット機が突っ込み、もうもうと黒煙が立ち昇り、悪魔の舌のように赤い炎が燃えていました。そこへまた一機のジェット機が飛んで来て、今度は同じ110階建ての南棟の78-85階当たりにまっすぐ突っ込んで行きました。まるでハリウッドの映画を観ている思いでした。そして二つの大きな建物が崩れ落ちました。

あれから六年。曜日も今日と同じ火曜日でした。現在では2、750人が犠牲者として数えられています。今日はニューヨークを始め、各地で追悼式が営まれています。一般米国民の衝撃は少しずつ薄れつつあるものの、愛する者を喪った人々の悲しみや無念さは今も消えることはありません。ニューヨーク市と遺族の間にも微妙な意識のずれが生まれているようです。

今日の追悼式は現場の向かい側の公園で開かれました。市側としては現場ではいろんな新しい建築が進んでおり、危険だからという理由でした。しかし遺族達はやはり愛する者達が死んだ場所での追悼を望みました。結局妥協が成立し、式は公園で行なうものの、その後に遺族が現場を訪れても良いことになりました。

米国人のショックと怒りはアフガン戦争、イラク戦争となりました。現在では同時多発テロの死亡者の数を何十倍も超す命が失われています。それは米国人、アフガニスタン人、イラク人を問いません。無辜の民を殺した同時多発テロですが、イラクでは今日も無辜の民が巻き込まれ死んでいます。米国人兵士も死んでいます。

私には米国に対する一つの疑問があります。死者への追悼やアルカイダのメンバーへの怒りの感情等は続いているものの、そもそも何故このような同時多発テロが起きたのかという真の原因に対する追求が殆どなされていないことです。何故防げなかったのかという反省と、そしてこれからの防止のための方策などしか考えられていないようです。

話は飛びますが、日本の真珠湾攻撃に対しても、何故日本が攻撃したのかという真の原因についての調査や理解はいまだに行なわれないままです。一方的に「軍国主義に狂奔した日本が卑劣な攻撃を仕掛けて来た」との解釈で終っています。真摯な調査や原因解明に努力していれば、ひょっとしたら、その後のベトナム戦争や湾岸戦争、同時多発テロ、アフガン戦争、イラク戦争もなかったかも知れません。

最近「No End in Sight」というドキュメンタリー映画が米国で制作されたそうです。私はまだ観ていないのですが、イラク戦争に突っ込んだ米政府首脳陣がいかにイラクの事情に疎く、言葉や文化を理解することもなく、自分達の考えだけで判断したために、現在のイラクの混迷を招いているかという状況を描いたもののようです。

太平洋戦争で父を喪った私は、当時の両国の指導者達も同様であったと思っています。相手の国の言葉や文化、事情などを理解しないまま、ただお互いに一方的に主張を繰り返すことに終始したことが当時の外交文書などを読むと良く判ります。相互理解の鍵となる言葉や文化の理解と共に、相手への尊敬と思いやりの心が大切だと、今更ながら感じています。(終わり)

[鶴亀 彰]

 

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